MOVIE動 画
INTRODUCTIONイントロ
かつてカルト教団として、日本を騒然とさせた謎の集団 いま明かされる「楽園(ハーレム)」の真実
1980年、東京・国分寺市から10人の女性が突如姿を消したと報道される。彼女達を連れ去ったとされる謎の集団「イエスの方舟」、その主宰者・千石剛賢は、美しく若い女性を次々と入信させハーレムを形成していると世間を騒然とさせた。2年2ヶ月の逃避行の末、千石が不起訴となり事件には一応の終止符が打たれる。しかし彼女たちの共同生活は、45年たった今も続いていた。「宗教法人ではない」と語るその正体とは!?
当時、センセーショナルに大報道された「イエスの方舟」騒動。その現在とは?
「あの事件は何だったのか?」日本を代表する数々の監督たちが映画化に挑むも、実現に至らなかった謎の集団「イエスの方舟」。本作はその集団の彼女たちに果敢にアプローチし、その信仰と生活を取材し、45年の年月と共に、もう一度考えたい「イエスの方舟」についての記録である。
監督の佐井大紀は言う「安倍元首相銃撃事件をきっかけに、統一教会、そして、宗教や信仰の問題が大きく取り沙汰されました。果たして“信じること”とは個人になにをもたらすのだろうか?幸福か?あるいは狂気か?そんなことを考えながら、私はかつてTBSで制作されたあるテレビドラマを思い出しました。『イエスの方舟』と題されたビートたけし主演のその作品は、45年前実際に起きた騒動をもとにした濃密な人間ドラマでした。なんと、そのドラマのモデルとなった女性たちは、今でも福岡で共同生活をしているらしい。そしてTBSに残された報道フィルムと現在の彼女たちの姿をカットバックさせることで、その生き様を物語として抽出ことができるのではないだろうか?と思ったんです」そんな想いにかられた佐井監督は気づけば、福岡へ向かうチケットを握り締めていたという。
そう、2024年現在。「イエスの方舟」はまだ存在していた!!
騒動の終息後、メンバー全員が千石の元へと戻り、福岡市中州で「シオンの娘」というクラブを経営しながら、45年間共同生活を維持してきた。しかし、騒動時の過激な報道を経験しメディアへの警戒心を育ててしまった彼女たちに、生活風景や集会を全て顔出しで取材することの許しを得るのは、簡単なことではなかったと、佐井監督はいう。彼は時間をかけ、店に通い、ひとつひとつ理解を積み上げていった。
“45年目の真実“に迫る、TBSならではのドキュメンタリー映画
取材兼監督を務める佐井大紀は、普段TBSテレビでドラマのプロデューサーを務めながら、この作品を取材し、仕上げた。過去にも『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』を監督、TBS所蔵の貴重なフィルムを映画館で上映する『TBSレトロスペクティブ映画祭』を企画・プロデュースする異色の経歴を持つ。
弱冠30才ながら、60~70年代のカルチャーに造詣が深く、見て来たかのように話すその姿に、数々の「オトナの」文化人・著名人も舌を巻くほどだ。
本作の企画を務めたTBSの大久保竜エグゼクティブ・プロデューサーは、「放送局には過去のアーカイブ映像が豊富にある、それをどう使うか。映画にとって非常に重要な命題だと思う。佐井監督の取り組みには、先輩もOBも、実はああいうことだったんだよ、など協力的で、新たな話が聞けたり、割とフラットに世代を超えた縦の連携ができあがる。作品自体の面白さが増幅するとともに、我々のドキュメンタリーブランドTBSDOCSの中で、アーカイブを活かす作品群が一つの大きな特色となりつつある」と語る。
そのような体制を背景に佐井監督は、過去のニュース、アーカイブ映像から得た情報で、「イエスの方舟」の集団生活を福岡の地で取材し、その是非を問うのかと思えば、そこは新世代、過去を引きずるではなく、マスコミ報道を冷静に省み、むしろフォーカスはそこに生きる女性たちの圧倒的な姿に注がれる。
「『現実はドラマ以上にドラマティックだ』という陳腐でありふれた台詞に対する私の疑念は、本作を撮ったことで 完全に覆されてしまったようです。」
と、普段ドラマを作っている佐井監督もあっけにとられるほどの女性たちの存在感、マスコミ各社によるバッシングを受けたあの騒動から45年で身に付けた彼女たちの生きる術をひしひしと感じながら、観る者はスクリーンに惹きつけられる。
そこから浮かび上がる真実は、シスターフッドか?それとも狂気か?
「鑑賞後もあなたは、“ハーレム教団”と呼びますか?」
HISTORY歴 史
「イエスの方舟騒動」とは?
1980年代に、メディアから大バッシングを受けたある謎の集団が存在した。その集団と一連の騒動を、世間では「イエスの方舟騒動」と呼んだ。
一体どんな騒動だったのか?
1980年に日本で発生した、団体「イエスの方舟」に関連する一連の騒動。この騒動は社会的に大きな反響を呼び、同時に多くの議論を巻き起こした。「イエスの方舟」、その起源は1960年代にまで遡る。元々は聖書を読み合わせ研究する集団であったが、のちにメンバーたちは共同生活をするようになり、創設者・千石剛賢はキリスト教の教義を基にした独自の教えを広め、多くの支持者を集めていた。
その背景は?
千石剛賢は、神戸でキリスト教に出会い教会に通っていたが、自身の宗教的経験や啓示を元に独自の教義を展開し始める。1970年代後半、自らが主宰する聖書勉強会の名称を「イエスの方舟」と改め、キリスト教の教えを基にしつつも独自の儀式やルールを取り入れるスタイルが、主に若者から圧倒的な支持を得る。そして、自己啓発や精神的成長を強調していったとされる。
騒動の発端 騒動が始まったのは1980年、メンバーの家族からの報告やマスコミの取材により、「イエスの方舟」がメンバー
に対して過激な洗脳や精神的・肉体的虐待を行っているという疑惑が浮上した。メンバーたちは団体内で隔離された生活を送り、外部との接触を厳しく制限されていたとされ、これにより家族や友人がメンバーと連絡を取ることが困難になり、団体の閉鎖性が強調されていた。
メディアの報道と社会的反響
あるメンバーの母親が某雑誌に手記を掲載したことを発端に、メディアはこの問題を大々的に報道し始める。テレビ番組や新聞記事、雑誌記事などを中心に団体の行動や教義に対する批判が高まり、メディアによるバッシングも展開された。特に、メンバーが家族から強引に引き離され、団体内で厳しい規律のもとに生活させられているという報道は、日本社会に大きな衝撃を与えた。
法的措置と団体の反応
報道が過熱する中で、警察や行政当局も「イエスの方舟」に対する捜査を続ける。団体の活動が違法であるかどうか、メンバーに対する虐待が行われているかどうかが論点とされていた。ついに千石たち5人の幹部が指名手配、それに対して千石剛賢はこれらの疑惑を否定、メディアや当局の行動を「宗教弾圧」と非難する声もあった。団体は自らの正当性を主張、メンバーたちも千石を支持する姿勢を崩さなかった一方で、この騒動は日本社会における新興宗教に対する見方にも大きな影響を与える。多くの人々が新興宗教に対する警戒心を強め、宗教団体の活動に対する監視が厳しくなるきっかけになったと言えよう。
騒動の収束とその後
「イエスの方舟」は社会的な圧力や批判に耐えながら、日本各地を転々とし続ける。その最中、雑誌「サンデー毎日」のみが彼女達の主張を受け止め、水面下で上京を設定。警察や他メディアの目を盗みながら、熱海で取材合宿を遂行する。しかし、千石は「サンデー毎日」が用意した熱海の旅館に滞在中、持病の狭心症により入院。彼女たちの居場所は警察の知るところとなり、全ての女性メンバーが家族の元へ返される。そして千石が不起訴となったことで、「イエスの方舟騒動」は静かに収束していった。これで「イエスの方舟」も解散か...と思われたが、2024年現在。「イエスの方舟」はまだ存在していた!!!騒動の終息後、メンバー全員が千石の元へと戻り、福岡市中州で「シオンの娘」というクラブを経営しながら、45年間共同生活を維持してきたのだ!
CHRONOLOGY年 表
CHARACTERキャラクター
STAFFスタッフ
企画・エグゼクティブプロデューサー大久保 ⻯
チーフプロデューサー能島一人
プロデューサー津村有紀
クリエイティブプロデューサー松木大輔
撮影小山田宏彰 末永 剛
ドローン撮影RKB CINC
編集佐井大紀 五十嵐剛輝
MA的池将
THEATER劇 場
(2024年9月27日現在)
関東
地域 | 劇場 | 公開日 |
---|---|---|
東京都中野区 | ポレポレ東中野 | 上映終了 |
東京都杉並区 | Morc阿佐ヶ谷 | 2024年10月25日(金)〜11月7日(木)2週間 |
中部
地域 | 劇場 | 公開日 |
---|---|---|
愛知県名古屋市 | シネマスコーレ | 2024年9月14日(土) |
関西
地域 | 劇場 | 公開日 |
---|---|---|
京都府京都市 | アップリンク京都 | 2024年9月27日(金) |
大阪府大阪市 | 第七藝術劇場 | 2024年9月14日(土) |
四国
地域 | 劇場 | 公開日 |
---|---|---|
高知県高知市 | ゴトゴトシネマ | 2024年11月4日(月・祝)※1日限定上映 |
九州・沖縄
地域 | 劇場 | 公開日 |
---|---|---|
福岡県福岡市 | KBCシネマ1・2 | 2024年11月2日(土)〜8日(金)※再々上映 |
宮崎県宮崎市 | 宮崎キネマ館 | 2024年10月4日(金) |
沖縄那覇市 | 桜坂劇場 | 2024年11月23日(土) |
COMMENTコメント
(敬称略・順不同)
世間を揺るがした大騒動とその後に流れる静かな時間の対比を描く。当事者がカメラの前で語る「真相」の数々。しかし、本質は当事者が語り得ないところにある。「当時、世間は『イエスの方舟』を誤解していた」そういうことになっている。当事者が「真実」を語り、その裏付けのひとつとして「時間」の積み重ねが提示される。
だが、その「真実」を本当に当事者が語り得るのか。ナラティブは信用を担保するのか。逆に新たな疑問がいくつも浮かんだ。この映画はもちろん「真実」の一面を捉えてはいる。だが、その奥にあるものの存在まで示唆しているとしたら…。
小説の行間を読むように、映像の背後にあるものを感じてほしい。この映画が浮き彫りにしたのは「時」の経過と比例する「時間」の重さである。その恐ろしさに私は戦慄する。同様の戦慄を覚えた作品がある。
この映画を観終わって真っ先に想起したのは私が最も衝撃を受けた小説のひとつであるデイヴィッド・ベニオフの『25時』だったことを挙げておく。
この「戦慄」を共有できる人を探したくなった。
こころの支え、そして共同体の安心感という宗教と信仰の本質が見事に描かれている。
日本人が忌避しがちな宗教の意味を真正面から問う刺激的な作品。
この映画には、あの事件、千石イエスの死を乗り越えた45年目の「イエスの方舟」が映し出されている。
家族とは何か?ということを過去に遡って考えるきっかけを作ってくれたのは、なんとまだ30歳の佐井監督であったということがこの映画の最大のポイントである。この映画を観たらそこに、はるかに家族らしい関係を見出すだろう。
なぜなら方舟のメンバーたちが、本来の家族の在り方という願望を実現するため、擬似家族集団を営むようになったから…。
皆さんに、その絆はありますか?
この映画で感じさせられるのは、宗教の存在理由と家族の問題の重要性だ。皆が共通に抱えているこの問題に引きずられながら、バブルに突入する前の日本でこの騒動が起きた。 私が入社3年目の報道の現場にいた当時のことがありありと思い出された。「イエスの方舟」という「家族」以上の「家族」集団に対する、佐井監督のオマージュ(橋幸夫をモーツァルトに昇華させるなんて!)と事実の重み、熱量を感じることができる作品だ。必見!
今の価値観で考えた時に、もし今この騒動が起こったらきちんと許容できる社会であるのか…この映画が試していることの一つはそれである。
僕はそこに関して「絶対大丈夫!」というポジティブな回答はできないけれど、この映画を観て過去の失敗から考えることが重要だ。観たあなたは、一体どちらに転ぶのか?
ある種の”逃げ場”についての映画であるのと同時に、過去と現在を紡ぐ大河ドラマとしてもドラマチックである。社会や時代は変わってもそれを取り囲む周辺環境は果たして変わったのだろうか?